今週末、7月22日と23日は、学園坂スタジオでドキュメンタリー映画の上映会があります。
22日は13時30分より『六カ所人間記』(1985)。青森県下北半島にあるこの小さな村〜六カ所村に、むつ小川原開発の話が持ち上がるのが1970年代初頭。その10年後に巨大な石油備蓄基地が完成しましたが、直後に核再処理施設の建設が決定されます(1985)。この作品は、82年〜85年ごろまでの村の人々の様子をフィルムに収めたもので、いかに村民たちが開発を巡って、翻弄され、分断されたかを淡々と綴っていきます。
1993年に着工し、いまだ完成しないこの核再処理施設。竣工はたびたび延期され、当初の予算7600億円が2兆2000億円に、そしてついこの6月末、この予算がさらに増え2兆9000億円とされたとのこと。いったい何のための、誰のための開発だったのか、おそらく誰も理解できていない。311を経験した私たちにとって、原発や核再処理施設は必ずしも必要ではないことが明らかであり、その計画はあまりに杜撰であり、当事者たちがあまりに無責任だったことは、ほぼ歴史上の事実と言っていいでしょう。
23日10時45分〜は『夏休みの宿題は終わらない』(1990)。イギリス・セラフィールド、フランスのラ・アーグの核再処理施設の周辺の状況を撮影しています。制作者の倉岡さんによれば、立地条件や気候など、六カ所村に酷似しているといいます。海のそばで、都会から離れた辺境で、ほとんど誰にも知られないような地理条件のもと、セラフィールドでは1950年代から操業(現在閉鎖)、ラ・アーグでは60年代から操業開始。このフィルムでは、いかに住民たちの健康被害が深刻であったかが次々と証言されていきます。倉岡さんにとって、この作品は『六カ所人間記』の続編だとのこと。
近年「ブラック企業」という言葉が流通していますが、思えば日本を含めたいわゆる「先進国」と呼ばれる(自称する?)国々のことを「ブラック国家」と呼んでみてもいいのかもしれません。進歩・発展・競争のような観念に囚われたまま逃れることの出来ないわたしたちは、弱者を見出せば徹底的に踏みつけるようなことを平気でしてきた。辺境におかれた人々の生活など無視し、富国強兵を優先させてきたことは明治以来、一貫しているようにも見える。例えば水俣病のような事件や沖縄の現状なども、ほとんど同じ構造なのでしょう。
この2本の映像作品から、わたしたちの近代という病を、はっきりと目の当たりにすることができます。直前になってしまいましたが、ぜひぜひこの二本立てをご覧下さい。倉岡さんご本人との質疑応答や人類学の渡辺公三さんのトークもあります。詳細はこちらをクリック。
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