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オンラインから考える

コロナウィルスの影響で、世界中が大騒ぎです。何を隠そう、学園坂スタジオもお客さんの入りがみるみる減っていき、4月はそれはもう大変でした(!)。この5月も、グループでのレンタル&クラスは、ほぼキャンセルです。原則1名ないし2名様のご利用のみOK、手指の消毒・マスクの着用なども必ずお願いしています。玄関や床は毎日アルコール消毒、この拭き掃除のおかげでだいぶダイエットになったかも。。。

コロナ&アルコール

コロナビールは生産ストップ。切ないものです。


4月末から、これはヤバイということで、オンラインレッスンの準備を進めてきました。そもそもwebカメラは売り切れ。中古でも高くなっていることがあるようです。買ったはいいが、PCと相性が悪いせいか全然作動しない。昨日は動いたのに、なんで今日は動かないの?のようなことが多発。マシンに振り回される時間は虚しいものです。

それでもめげずに、5/7より、オンラインレッスンをスタートしました。まずはボイストレーニングのクラス。5名の方にご参加いただきました。3,4月とほぼ欠席だった方ばかりで、オンラインとはいえ、クラスが成立したことはちょっぴり感慨深いものがあります。本日はウクレレもオンライン開講。wifiの調子が悪く、やや不安もありましたがこれも何とか終了。3名の方にご参加いただきました。

当面はyoutubeのライブ配信を使って、ボイトレ・ウクレレ・ヨガのクラスの生中継を行います。また、個人レッスンはズームなどを用い、双方向のレッスンを順次開講予定。準備はそれなりに大変ではあるけれど、外出が難しい現状からすれば仕方ありません。ふだんわざわざ足を運んで頂くことが、運営側からすれば実はどれだけ楽をしているか、などと逆説的に感じたりもします。

多くの学校が休講になり、またオンラインでの授業を始めています。企業もテレワーク・リモートワーク化が進んでいる。このことをどう捉えるか。集まる、集う、ということが困難であることが、必ずしも国難を意味するわけではなく、むしろ中央集権的な構造が変容する可能性を孕んでいるようにも思えます。いわゆる脱中心化とか、分散化などといった言い方はずいぶん前から言われてきましたが、いままさにそんな時代に突入したかのようにもみえる。

学校という権力空間がなくなるわけではないにせよ、文科省配下で、決められた年齢に振り分けられ、決められた教科書に縛られ、体育館のように決められた空間に閉じ込められてきたわたしたちの生やそこで培われきた感性が、ガラッと音を立てて崩れていくような、そんな予感もなくはない。制服が不要になって、髪の色もチェックされず、などということになれば、それは悪いことではないでしょう。

そうはいっても、国家をも超えた新興勢力=GAFAの力は強大で、ますます監視社会が強固なものになっていく、そんな危惧もあります。さきほどさっそくyoutubeから、おたくのウクレレの練習の曲は著作権に引っかかっている可能性あるよ、などとメールがきました。どうやって管理しているのか分かりませんが、投稿サイトとは、ばかばかしいくらい徹底した監視システムでもあることは間違いないのです。そして、オンライン化がそのようなシステムの一翼を担うことももはや止めようがない。

ところで、いまの日本、給付金ひとつとっても日々コロコロ変わってしまい、どこでどうすれば助けてもらえるのか、なんだかよく分かりません。中曽根/小泉以降、福祉の充実した大きな国家から、なんでも自己責任の小さな国家へリサイズしてきたことの表れでしょう。政府に能力がない、という批判ももちろん妥当ではあるけれど、そもそも最初(ハナ)から助ける気がないような仕組みをつくってきたのだから、能力があるわけもない。マスクが2枚配布されるそうだけれど、3枚以上は自己責任、という、これは小さい国家というよりも、もはや最小国家であることの表れなのかもしれない。

恐ろしいのは、そんな小さな政府・小さな国家が、GAFAのような勢力を下請けに管理社会を強化していくことでしょう。街中の人口をスマホの位置から把握する・LINEで健康状態を問いただされるなどということが実際にあるわけで(いまや中国ではそんなことは常識なのでしょうが、、)、なんだか気持ち悪い。もっと気持ち悪いのは、感染者をSNS上で吊るし上げる、いわゆるコロナ自警団。そっくりそのままナチスの手法。民間人がいとも簡単に警察になり代わる、驚くべき管理社会です。

果たして害悪はウィルスなのか、それとも人間なのか。可能性はオンラインにあるのか、それともオフラインなのか。どうもよく分からない。どうもよく分からないけれど、わたしたちはいま、ある岐路に立っていることは紛れもない事実でしょう。その行き先の一方は、底の見えない崖のような気がするのですが、もう一方の道は果たしてどこへ通じるのか。どうも描けない。いずれの道も崖ではないことを願うばかりです。

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